12月のこと

今月は月半ばにして色々動き回っています。

11月から、今年の(人間ぽい)活動が凝縮されている感じで、それが今も続いているようです。

12月の頭には、手で作る本の教室の山崎曜先生の個展で銀座へ。

先生の製本の本を初めて読んでから、ずいぶん経ちました。まさかあの頃、その本の教室へ通ったり、東京まで個展へ出かけるとは想像していませんでした。自分で本をつくるなんていうのも、考えてなかった。思ったことはとりあえずやってみることですね!

 

先生の個展。

手と脳というか心のようなものが直結して動いているのかなあと感じました。脳なんだけど脳じゃないような部分。なんだろう。

なんでしょうね。「いい!」と直感的に感じるものほど、理由の説明が難しい気がします。

単純に、つくるものの正確さとか、しあがりのきれいさとか、組み合わせの面白さとか、個人的神様なんですけれど。なんといったらいいのか。それが蓄積して、どこか別の形を発見できるかな。

その後には、メモリーオイルでスプレー作成へ行ってきました。カラフルなおまじない的ラベルのボトル。どんどん元気にがんばるためのスプレーができあがりました。

最近、「自分を知るように」というメッセージを色々もらいます。

インタビューに興味を持って、「傾聴」についての本も一冊読んだのですが、傾聴するためにも、まずは自分を知ることが大切らしいのです。自分の感情に一瞬一瞬気づくこと。相手の話を聞いて、そこにわき上がる感情が自分のものなのか、相手のものなのかをちゃんとわかっていること。

アンテナを立てて、何かを受信したいと願っていますが、それも、一瞬ずつの自分に気づいてこそ感じ取れるのかなあと考えたりします。

今の環境だからこそ試せることや感じ取れることがあるはず。地に足をつけて、夢を見ていきたいですね。

そして今日、「FOUJITA」を観てきました。宮城では仙台フォーラムで短期間しか上映しませんので、見逃さないよう要注意!

これもなんと言ったらいいのか。ストーリーを追うというよりも、一冊の詩集をめくりつづけるような映画でした。

女のひとには、猫を飼うようにやさしいフジタさん。けれど、したたかに、いかに絵で生きるか、絵を描きつづけるかを貫いているように見えました。覚悟がある。

一瞬、一瞬を、その時、その場の一瞬一瞬を。こういう人の五感はどうなっているのか。これもどうにか噛み砕いて何かの形を発見したいもの。

帰りにピカソ展を見に行った宮城県美術館の常設展では、フジタさんの白い裸婦が一枚展示されていました。白い寝台で天を薄く見つめる白い裸婦です。やわらかな輪郭を描く線は鋭く研がれています。色は白なんですけれど、ああいう豊かな色味の白はあんまり知らないですね。「白は絶望の色」と言った詩を読んで、その感覚に同意していましたが、フジタさんの白い裸婦に絶望は感じません。豊かさを感じるのはなぜでしょうね。