前回のブログで書いたとおり、わたしのなかには小さな子どもがいます。
その子は空想が好きで、お絵描きが好きで、おはなしをつくることが好き。
ぬいぐるみを仲間にして海やジャングル、宇宙の果てにも冒険に行くような子です。
そういう子がいるな、と感じたのは、二十歳後半頃だったように思います。
その子が自由に創作できるように、外側のわたしが頑張って稼いで養ってあげなければ!と、自分を鼓舞して労働していました。
イベントに出店するようになってからは、大人のわたしが橋渡しになって、外の人に、その子が作ったものを届けるようなイメージ。
だんだんと、内側の子を気に入ってくれる外側の人と、出会えるようになってきました。
もしかしたら、そういう外側の方々のうちにも子どもがいて、内側の世界で遊んでくれているんじゃないかしら。
なんて、空想したりします。
最初、オーオーを書きはじめたとき、そんなことは考えたりはしませんでした。
風みたいな声を持った子どもが泥遊びをしている。
木々に隠れた家で、世間からはみ出てきたひとりの大人と、おままごとみたいに暮らしている。
そんなイメージだけ。
書き終わって、振り返ると、オーオーは内側の世界に暮らす子どものような気がするだけです。
わたしのなかの子と友だちの、どこかの世界の子どもという気がするのです。
それで、ああ、きっと、『オーオーのおままごと食堂』は、そんな、いろいろな方達の、内側の子どもに向けた本だったように思うのです。
そういうことを考えていて思い出すのは、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の重要な人物、おさなごころの君です。
崩壊しかけたファンタージエンの世界、その中心に座すおさなごころの君。
ファンタジーは、無意識の領域、内部世界を探る構造を持っていると思います。
書き手は創作しながら内部世界に潜って何かを探り、読み手はその過程を読むことで自身のそれと向き合います。
おさなごころの君は、誰のなかにもいる特別な存在なのじゃないかな。
それを救えるのもまた、自分自身。
エンデは偉大な先生です。
いつもながら、話がずれてきました。
『オーオーのおままごと食堂』は他愛のないおはなしを詰めた本です。
眠る前、少しずつ読めるように。
懐かしい、やさしい夢が見られるように。
そう考えて書いた本です。
もしも夢のなかにオーオーが遊びにきたら、一緒におままごと遊びをしてもらえると嬉しいです。
いえ、おままごとには限らないかもしれません。
雲を食べるレストラン遊びだったり、サイコロの目の数だけ進むケンケンゲームかもしれません。
そういう子ども心は、きっと現実の世界を少しやさしくしてくれると思います。
やさしくしてくれたらいいなと思います。














