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霧と砂の図書館にて

少女が本へ書きこんでいる。

2Bの鉛筆で。

彼女にしか読めない文字を。

それはどこの国の言葉でもない。

もしかしたら、古代の洞窟の隅に刻まれた線に少しだけ似ているかもしれない。

わずかなふるえや、筆圧の濃淡の違いが、ひとつの文字を区別させている。

独自の言語だ。

しかしそれが独自だとも少女は認識していない。

彼女の手元を覗きこむ存在はないのだから。

ページの一番後ろまでたどりつくと、少女は本を閉じ、耳へ表紙を押し当てた。

彼女には本の鼓動が聞こえる。

文字たちが跳ね、踊る、からみあう、その集合としての音。

すべての文字があるべき処へ姿を落ちつけたとき、少女は耳から本を離し、表紙へ息を吹きかける。

すると、タイトルが刻まれる。

少女は席を立つ。仕上がった本を、保管するために。

彼女の机は、書架に囲まれている。

書架は五角形に配置され、机を中心に、壁へ向かって幾重にも並ぶ。

ほとんどの書架は本が互いに身を支えるようにして埋まっている。

そういう隙間のない書架はぼんやりと暗く、まるで本は眠っているようである。

眠る書架の間を抜け、少女は壁際まで歩く。

壁際、まだ本を受けいれる余裕を持つ棚は、ほのかに明るい。

少女は梯子をかけ、最上段の空いている処へ、本をおさめる。

ちょうど、壁際の書架は、その一冊によってすべて埋まった。

すると、床が外側へ向かい拡張し、新たに空の書架が生まれた。

少女は驚きもせず、梯子を下り、ほの暗い書架の林を歩き、机へ戻る。

机には、新しい本が現れている。

少女は行儀よく椅子へ腰かけ、再び2Bの鉛筆を取り、休むことなく記し始めるのである。

 

ナキ。

それが少女の名前だ。

誰に与えられた名なのか、ナキは知らない。もしくは忘れた。

しかし、自分の名前はナキだと認識している。

ひとに呼ばれるわけでもなく、ひとへ名乗るわけでもなく。

 

ナキは図書館にいる。

いつからいるのか、いつまでいるのか、考えたことがない。

本を読むためではなく、書くために。書いた本を書架へおさめるために、図書館にいる。

たったひとりで。

 

図書館は霧でできている。

霧を濃縮したレンガを積み。

霧を磨いたガラスを窓に嵌め。

霧を削いだ書架が並ぶ。

ナキが歩けば、霧の床がゆったりと波うつ。

そのとき、壁を覆う書架も、波の到達した壁もゆがみ、霧の屋根もまたゆれて、霧の埃がわずかにこぼれたりもする。

机も霧でできている。

椅子も。

鉛筆も。

ナキのシャツも。

下着も。

キュロットも。

靴下も。

編みあげ紐のブーツも。

ナキも。

霧でできている。

ただ、本だけが、本である。

 

霧。

こまかな水の粒が集まり、ナキの形をつくる。

ナキの髪、皮膚、爪、筋肉、脂肪、血管、骨、内臓。

すべて、水だ。

霧。

地上にたゆたう水の粒が霧だという。

空をただよう水の粒は雲だという。

図書館もナキも地上に引力されている。

 

ナキは喋らない。

ナキは食べない。

ナキは排泄しない。

ナキは怒らない。

ナキは眠らない。

ナキは泣かない。

ナキは歌わない。

ナキは踊らない。

ナキは笑わない。

ナキは書く。

ずっと、書いている。

一冊をしあげるためにどれくらいの時間をかけているのか、ナキにはわからない。

図書館は太陽と月の支配を受けない。

時間さえ霧なのかもしれない。

 

ナキには音が聞こえている。

いつでも、絶え間なく。

音は、喋り、食べ、排泄し、眠り、泣き、歌い、踊り、笑っている。

音は、五色に光り、ゆらぎ、回転し、波打っている。

音は空間に響くのではない。

ナキの鼓膜だけをふるわせるのである。

ふるえの軌跡をページへ模写したあと、ナキに音の記憶は残らない。

ナキの体は常に透明だ。

水の粒のあいだに、ひとつの音も見つけられない。

ただ、音の情景を記録しつづける。

書くことをやめたのなら、もしかしたら、あるいは?

 

 

ふいに、図書館が大きくゆれた。

長いゆれだった。

ナキが歩くだけでも波紋の広がる図書館である。

大きな長いゆれは、徐々に床の波立ちを荒立たせ、修復不可能なほどに書架をゆがませ、壁をたゆませた。

それぞれを形づくっていたつながりはほどけ、すべてが霧として混じり合った。

机が崩れた。もちろん、椅子も。

本は霧の底へ崩れ落ちた。

ナキは自分も震動しているのを感じた。

手の甲、腕、肩、太もも、首、頭。

集合して体を成していた霧が逃げていく。

痛みはない。

ゆれがおさまる頃、ナキの体は完全にほどけ、図書館へ溶けてしまった。

いや、もう図書館もないのだった。

濃い霧の中に積み重なる本の丘があるばかりだった。

 

ナキは霧にくまなく溶けた。

 

「どうしてこんなことになってしまったの」

などと、ナキは思わない。追及しない。

 

「いつまでこうしているのかしら」

などと、そんなことも思わない。心配しない。

 

ましてや。

「どうしたらこの状況を破れるのでしょう」

などと、考えもしない。検討しない。

 

ことの成り行きを見守るわけでもない。

漂う霧である。

ナキはまどろんだ。

 

それから間もなくだったのか、それとも長い時が経っていたのか、時間に囚われないナキは感知しないが、ふいに小舟が現れた。

霧のすみずみまで行き渡っていたはずのナキだったが、いつどこから小舟がやって来たのか、わからなかった。

いつのまにか、霧の海へ小舟は浮かんでいた。

小舟は砂が集まり固まってできている。異物である。

小舟には誰かが乗っている。それもまた異物である。

しかし、ナキに違和感はなかった。

むしろ、

懐かしさがあった。

強烈な懐かしさが、ナキの意識をまどろみから掬いとった。

万遍なく溶けていた霧から、顔を形成させ、小舟へ近づかせた。

見たい。

会いたい。

という、明らかな意志である。

 

小舟には少年が横たわっていた。

力なく四肢を投げ出し目を瞑るその姿は、深い疲れに覆われていた。

少年の形をつくるのは、霧ではなく、砂だった。

シャツも。

キュロットも。

靴下も。

編みあげ紐のブーツも。

砂粒が集まり、少年の形をつくっていた。

髪、皮膚、爪、筋肉、脂肪、血管、骨、内臓。

すべて、砂だ。

 

ナキは少年の乾いた頬に触れた。

砂。

霧のナキが触れても、砂の頬は湿りもしない。

おそろしく乾き、ひび割れてすらいる。

左の目蓋の、右足の、腰の、薄い背の、砂が崩れてきている。

 

「これほどまでに、このひとは」

 

ナキは霧のなかから手を伸ばし、彼の髪を撫でた。

知っている気がした。

この少年が、崩れるまでに経た道のりを。

そう、それは確か、本に書いたはずだ。

ナキは本に記したはずだった。

 

ナキは本を探した。

始まりの本を。

 

霧の腕で本をさらう。

本は宙へ浮きあがる。

浮かびあがった数多の本を、霧に溶けたナキは、意識として認識する。

 

「なんてたくさんの本があるのでしょう」

「なんてたくさんのことを記したのでしょう」

 

「最初から最後まで、全部の本をお話しする」

「このひとを労わるために」

「このひとを讃えるために」

「そう、そのために、わたしはここにいる」

 

ナキは始まりの本を見つけ出した。

 

そして、少年の鼓膜へ霧として接し、語り始めた。

霧のナキがページから文字を掬い、少年の耳へ沁みさせる。

言葉は水のひと粒となり、語られ終えたページからは、文字が消えた。

すべての文字を失った本は、霧の奥底へ沈んでいった。

 

ナキの語りは、息を吹きこむようだった。

涼しげに、やさしく。

ナキの息、霧の息は少年に沁みた。

沁みた分だけ、空間の霧は薄れた。

霧に溶けているナキは、それを感知していたが、問題ではなかった。

身を失ってゆくことは。

なぜなら、言葉が沁みるだけ、崩れた少年の体が修復されていったから。

 

ナキは語りつづけた。休むことなく。

かつて書架におさめたすべての本を。

ナキは眠らない。

泣かない。笑わない。これまでは。

今、本を読みながら、そこへ記された通りの感情を、ナキは体験した。

喜び、怒り、嘆き、同調、拗ね、妬み。

泣き、怒り、笑った。

 

時間に支配されないナキが、たっぷりとした豊かな時間を感じていた。

読みあげる物語に。

それは、少年の時間だった。

少年の過ごした時間を、ナキは記録していたのだ。

旅から戻った彼に、すべてを還すために。

 

「あなたの見たもの、聞いたもの、うつくしかったものも、醜いものも、すべてが旅の宝物。あなたをつくったもの。わたしはすべてを記録した。そのままうつした。ここに偽りはない」

 

一文字も漏らすことなく、ナキは語った。

ナキがすべてを語り終えるのと、少年が目覚めるのは、同時だった。

もう、少年の体に欠けるところはなかった。

ほころびていた砂の皮膚はなめらかな石の表面のように整った。

くたびれていた砂の服は真新しく蘇った。

 

霧は晴れた。

ナキの形、ひとり分を残して。

 

今、霧の晴れたあと、砂の大地が広がっている。

語り尽くされ白に還った本は、大地に円を描き並んでいた。

円の中心で少年が身を起こすと、小舟は一揃えの机と椅子に変化した。

すると、おびただしい数の本は砂の大地へ沈んだ。

少年が立ちあがると、砂が渦を巻き、みるみる五角形の床として固まり、柱を立たせ、壁をめぐらせ、屋根を張り、書架をしつらえた。

砂の図書館が建ったのである。

 

その中心で、少年とナキは向かい合った。

ふたりはうりふたつの容姿だった。

鏡へ触れるように、ふたりは手を合わせる。

ナキがほほ笑むとき、少年もほほ笑んだ。

少年がまばたきするとき、ナキもまばたきした。

ふたりはなにも言葉を交わさず、手をつないで、扉へ向かった。

まだ図書館はちいさい。

机を五角形に囲む書架には一冊の本もない。

 

「今度は、わたしの番」

 

ナキが扉を開いた。

砂丘の天辺に小舟が待っていた。

ずっと書くばかりだったナキが、図書館の外へ足を踏み出す。

砂を、踏む。

足の水分が蒸発した。

その下には、本物の肉と骨を持つ足があらわれていた。

ナキは理解していた。

肉を以って、身に刻んでゆくのだと。

 

扉を境界線として、少年とナキは手をつないだまま、見つめあった。

図書館の周囲には果てもない砂の海が広がっている。

これよりしばし、砂の上。

ナキは図書館と別れる。少年と別れる。

その前に、少年へ渡さなくてはならないものがあることを、ナキは思い出した。

手を放す直前、ナキは彼の耳へささやいた。

ひとつの名前を。

そして、駆けだした。

みるみる霧が蒸発してゆく。

血が体を満たしてゆく。

ナキは、小舟を目指した。

 

ナキが去り、閉じた扉の隙間を砂が埋めた。

扉の役目は終わったのだ。

少年が内から開けることも、誰かが訪ねてくることもない。

ナキの帰る、その日まで。

少年は扉へ背を向け、机に戻った。

砂の床の足跡は、間もなく消えてゆく。

静かだ。

少年はその静けさをずっと前にも知っていた。

いや、いつでも、体の奥底に感じていた。

どんなに音が外でひしめいていても、溶けない氷のように、静けさは存在していた。

 

机に白い本が現れた。

少年は行儀よく椅子に腰かけ、2Bの鉛筆を取った。

まっさらなページを開き、目を瞑る。

耳を澄ます。

やがて聞こえてくるはずだ。

はるかな旅を始めた、ナキの物語が。

ナキの見たもの、聞いたもの、感じたこと、うつくしいもの、醜いもの、すべてを、少年は記すのだ。

いつか帰ってくるナキへ、語り聞かせるために。

 

少年の名は、ナキ。

 

砂の図書館で、少女の物語を綴る。