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三月のくじら

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コップに水を汲んだら くじらが泳いでいた

まさかと思い 浴槽を見ると くじらがいた

そういえば 明け方の夢のほとりにも くじらがいた

「海はあなたの内にも満ちていますから わたくしはどこにでもゆけるのです」

星をすくい 空へかえすくじら

わたしの内にも 沈んだ星があり それを見つけて 空へかえすのだ

  

 *

 

今年も今日という日が来ました。

今年も「三月のくじら」を書きました。

これは2011年6月に、やりきれない思いを、海の王様のくじらに託したのがはじまりです。

広い海を泳ぐくじらなら、きっと見つけてくれる。

そう思いました。

 

私の住む町は、川をはさんで、津波がおしよせたところと、無事だったところに別れました。

「たまたま」私はまぬがれたのだと思いました。

川のこちらと、むこう。もしかしたら、その日むこうへ行っていたかもしれない。

私も死んでいても不思議はなかったから。

 

悪いことをしたひとが死ぬのでも、よいひとが死ぬのでもなく、どうしようもない力で、事態が起こってしまう。

 

あのころ、「どうして私なんかが生きていて、大切なひとをもっているひとが亡くなってしまったんだろう」とさえ考える夜がありました。

 

そうすると、じゃあ、生きてるってなんだろう?

どう生きたら、亡くなったひとに、顔向けできるんだろう?

 

そんな風に考えるようになりました。

 

きっと、亡くなった方は、最期まで生きるためのチャレンジをしたはずです。

ものすごい努力をしたはずです。

 

だったら、私も生きている間は、チャレンジをしよう。

そう決めました。

それで2011年5月に始めたのが、twitterでちいさなおはなしをつぶやく、「おはなし手帖」でした。

 

あれから7年です。

 

私の暮らしはずいぶん変わりました。

 

チャレンジをしている?

 

ちゃんと生きてる?

 

海のむこうからか、どこからか、そう問われている気がします。

 

 

「今日」という日。

もし何も感じないなら、言葉が浮かばないなら、「三月のくじら」は潮時なのだと思います。

でも、今年もくじらは泳いでいて、身の回り、すぐそばにいました。

 

今日からまた一年。

しっかり歩いていきます。

私も、生きているかぎりは、チャレンジをします。

だれもがきっとそうしたように。