new|2026/7/18 ひとくちぶんのおはなしを更新しました
2026/6/28 オーオーのおままごと食堂1-5話試し読み掲載しました
ようこそ、いらっしゃいませ。
お好きな席へどうぞ。
こちらはカップ一杯分のおはなしをお出しする喫茶室です。
コーヒーを一杯飲むあいだに読めるおはなしや、長めの物語の試し読みを置いてあります。
いつでもご自由に、おはなしをおともに、ひと息おやすみくださいませ。
ショートストーリーを小皿にご用意しました。
おはなしはときどきいれかわります。
『森の本』
蛙の卵のひとつにでもなったみたいだ。
そう思って、男は吐き気をもよおした。
満員電車にすきまなく満ちる人の数、じぶんもそのひとり。
蜘蛛の糸でもつかむように吊り革を握りしめ、車窓に映る夜に視線を逃す。
明るい光が流れゆくなか、生まれ育った町のなにもない空を想像しようとしては失敗を繰り返す。
息苦しい、だめだ。
襟に油汗がにじむのを感じて青ざめうつむいたとき、正面に座っていた女が文庫本を開いた。
すると、その文庫本から、濃厚な森の香りが広がった。
さわやかな風が吹き、男の前髪をゆらした。
いったい、これはどういうこと。
女がページをめくるたび、風は吹いて、木々が枝をゆらす音まで男の耳には聞こえた。
男の汗は引いていった。
やがて電車がスピードを落とし始めると、女が眼鏡越しに視線を男に向けた。
男の顔色を確認すると、女は文庫本を閉じて鞄にしまい、停車駅で立ちあがった。
なにが起こったのか把握しきれないまま、男はまごつき、ただ、女を凝視して不恰好に頭を下げた。
「あの、その、ええと」
「いえ、なにも、べつに」
女もくぐもった声でぎこちなく会釈し、男の横を通り、蛙の卵に混ざってホームに降りていった。
空いた車内で、男はシートに腰をおろし、息を吐いた。
目を閉じると、女がまるい手をそえて開いていた本から、木々が芽吹いてゆく姿が想像された。
本のタイトルを教えてもらえばよかった。
男はそう思った。
2026/7/18更新
喫茶室の本棚から抜き取った本をテーブルに置きました。
どんな本か、なかみをちらっとご覧いただけます。
冒頭だったり、途中の章だったり、ほんの一節かもしれません。
つづきが気になるときは、それぞれのリンク先から本をお持ち帰りいただけます。
1話目『オーオーのおままごと食堂』
いつものようにオーオーが土をまるめて団子をこさえていたところ、旅人がベンチに腰かけました。三角の形をした砂場はオーオーの台所で、ベンチはお客さんの席です。じつにくつろげるベンチです。桜の枝が屋根となり、甘く香る白詰草の絨毯に影をゆらめかせ、腰かけたひとの気持ちをなごませます。オーオーは肉団子とスープを土と水で完成させると、お盆にのせて旅人のところへ運びました。
初め、旅人はびっくりしました。まさか子どもがいるとは思わなかったのです。草木のあいだに現れた廃墟でしたから。ただ、旅人はやさしいひとでした。幼いオーオーとお盆の上の泥遊びをちょっと見ただけで、礼儀正しいお客さんを演じるべきだと考えました。くたびれた帽子をベンチに置いて会釈し、オーオーからお盆を受け取りました。手ぶらになったオーオーはつぎの料理の材料集めにとりかかりました。
チョウチョやハチが飛び回り、ときどき気持ちのいい風が吹きます。旅人は、オーオーが草花を集める姿をまぶしげに眺めました。長い道のりがあったのでしょう。旅人の体はこわばり、つっぱっていました。オーオーの姿を目で追い、みずみずしい花の香りを吸ううちに、肩や背中がゆるみ、やがてまぶたが落ちてゆきました。
太陽が西に傾き、景色がオレンジに染まりはじめた頃、旅人は肌寒さにくしゃみをして目が覚めました。皿とカップを空っぽにして、三角の砂場にいたオーオーへ返しました。オーオーはお盆を両手で受けとってお辞儀しました。旅人は服や鞄が汚れるのもかまわず、砂場に膝をつきました。
「ごちそうさま。僕もね、ちいさい頃、きみみたいに遊んだよ。妹がいるんだ」
旅人は首にさげた革袋からなにかを手のひらに出しました。真っ赤な宝石です。まるで熟れた苺のゼリーでした。
「これはね、見ての通り、ただの石だよ。でもね、僕のお父さんのお父さん、そのまたお父さん……ずっとずっと昔から、代々引き継がれてきた石なんだ。家を継ぐ子どもが持たされて、その子どもに渡していく。じつはね、病気の父さんの枕の下から盗んできた。これのせいで妹とケンカする羽目になってね。確かにきれいだよ、でも、食べられもしない、ただの冷たいかたまりだよ。ああ、きみならこれをどんな料理に見立ててくれるだろうか。いや、僕はこれを持っていつか家に帰らなきゃならない。でもね、僕は……」
「オーオー、夕ごはんだよ」
カクレンボさんがエプロンで手を拭きながら家から出てきて、オーオーを呼びました。
オーオーはベンチにちょこんと座って、お盆を膝にのせ、足をぶらぶらさせていました。目の前にカクレンボさんがしゃがむと、オーオーはお盆を差し出しました。白鳥をかたどった小皿に、真っ赤な宝石がひとつ。旅人は黙っていましたが、その宝石にはオーオーたちの国の住人がみんなまとめてしばらく暮らせるくらいの値段がつきます。
「おいしそうだね。ゼリーかな? さくらんぼ、ううん、苺かな」
カクレンボさんは小皿の〈ゼリー〉を「あむあむ」と言って口もとに運んだあと、手に包んでベンチの下にサッと捨てました。
お料理道具を三角の砂場に戻したオーオーは、カクレンボさんのあとをついて、玄関の外階段を一段ずつ登ります。
「びっくりだよオーオー、夕飯はキノコのスープでね、デザートは木苺だよ。今日にぴったりだね」
スープの香りがもれるドアがパタリと閉まると、一部始終を覗き見していた太陽は頭をひっこめ、ベンチの下に落ちた宝石のかがやきはすっかり消えたのでした。
『オーオーのおままごと食堂』
[もくじ]
オーオーのおままごと食堂/メレンゲ帽/ヘビのソフトクリーム/ひよこ豆/スズメのラジオ番組/ 空のレストラン/石とエスカルゴ/とんがり頭巾のカクレンボさん/アリになった日/嵐/ちいさなテント/コロッケごはん/マツボックリとキャンドル/渡り鳥/ボタンのケーキ/苺とドングリ/おるすばん
2026年2月28日発行
◾️著・カバー版画制作:かくら こう
◾️文庫本サイズ・全96ページ
まだ本の形にしていないおはなしや、
完売した手製本のおはなしなどを、星空文庫に保管しています。
お好きなときにお読みくださいませ。
