名刺図鑑


cafe からくり館

からくり館は蓄音機と人形の飾られるカフェである。カランコロンと鈴の鳴るドアをくぐると、人形たちが一斉にこちらを見てくるような錯覚を覚える。オーナーは若い男性である。ほっそりとした手が黄金規則に従ってうつくしく紅茶を淹れる。営業時間は夜である。新月の夜には、蓄音機が一斉に鳴り、人形の舞踏会が催されるのだという。「さて、新月はお休みにさせていただいていますので、僕にはわかりませんけれど」オーナーは近くに座る赤毛の人形の耳に触れる。「開かれるなら、ぜひ僕も招待してくれよ」その瞬間だけ、人形の頬に桜色が差したように見えた。


新井潮

新井潮は転居した先で、煙倶楽部というのをつくった。仲間は隣家のご隠居である。ご隠居は夕方になると車庫の前でぷかぷかとやり始める。通りかかったご近所連中や下校の子どもに「元気か」と必ず声を掛ける。新井潮も休日の夕方、仕方なく玄関の外で煙を吐く。愛煙家にとって肩身の狭い世情である。ご隠居と共に煙を吐いている内に、新井もご近所さんの顔を覚え、挨拶を交わすようになった。煙草を毛嫌いする小学生も、ふたりが煙で輪っかをつくってやると、目を大きくして見入った。「ウシオさん、火あるかい?」ライターの貸し借りをできる煙倶楽部を、新井は気に入っている。


モクメサワ

ヨクミエルメガネとは三つのことを指すと眼鏡屋モクメサワは語る。「まずは視力を補う眼鏡です。よくものが見えるということ。その方に合わせてレンズやフレームを補正します。次に外見がよく見える眼鏡。お顔の形に似合うものをお好みを考慮して提案します。三つ目として、世界がうつくしく見えるということ。世の中は見え方次第。わたくしの眼鏡をかけていただくと未来が開けます。たかが眼鏡ではないのです。お客さまの将来を変えます。本当です。誓って真実です」モクメサワは舞台役者じみた振る舞いをする胡散臭い男である。確かに客は絶えないし、評判もよい。しかし、客が一様な明るく爽やかな素振りになるのが、どうにも気になるのだ。


登坂景子

看護師登坂景子は背筋を伸ばし、歩幅を大きく颯爽と、走る速さで歩く。必要なものを瞬時に見定めて行動を練り実行する。勘の鋭い野生動物に似ている。そんな彼女を味方に持てば、どんな苦しい状況でも乗り切れる。看護師には「やさしさ」が必要だが、それは只やわらかなものではないという。ではどんなものなのか、登坂景子に尋ねてみた。「絶対に味方でいるということ。あなたのために闘うという覚悟。尊敬する先輩はみんな、そう」彼女が笑う時、相対する者も笑ってしまう。立ちあがれば、周囲が引き締まる。いつでも、どこでも、その場でできうる最良の看護。彼女になら任せられると思わせる。


犬山ふさこ

乳母歴50年、犬山ふさこ。泣く子も怒る子も、ふさこが顔を見せると途端に笑顔になるという。ふさこはひとなつこい顔をしている。シワに埋もれた目はいつも笑っているように見える。身体ぜんたいが垂れており、動くと頬も二の腕も、胸も、腹も、ぶるぶるとゆれる。それに抱きついて遊ぶのが好きだという子どもが多い。共働きの家では家事全般を忠実にこなす。疲れた母親をできたての手料理で癒す。ほつれたシャツにアップリケを縫いつけるやさしさを持つ。「ずっといてほしい」そう懇願されることもしばしば。しかし、ふさこは乳母である。乳母派遣協会の規律に従い、役目を終えれば次の家庭へ向かう。「出会いあれば別れあり。世の常でございます」乳母車を押して、ふさこは行く。


トサカケイコ

晴れた休日には公園でビールを飲む。トサカケイコは青空が好きだ。空はどの季節もいいものだ。いつも見ているから、違いがわかる。新発見ができる。まるでタツノオトシゴみたいな雲を見たことだってある。縦型の雲だ。みんなはそれをビールの魔法だろと呆れる。「違うの、あれは空のオトシゴ。絶対いいことあるんだってば」鼻の下に泡をつけたままケイコは言い張る。ケイコが青空焼き鳥パーティーを始めると、知らないひとまで次々加わり、乾杯する声がいつまでもつづく。しあわせはここにある。


サンゼロドーナツ

三つ子の兄弟が営むドーナツ屋。三人とも影絵のような体型である。度重なるストレスで身を崩した末に、彼らはこの店を開くに至った。「うちのドーナツを持ってピクニックしてほしい。青空の下でもりもり食べて、たくさん遊んでほしい」この店では砂糖もハチミツもふんだんに使われる。甘さ控えめなど戯れ言である。

客は若い女性が多い。サンゼロに来ると痩せてきれいになるという口コミがある。ハニーシナモンドーナツをほおばる女性に話を聞いた。「ありえない糖分じゃないですか、ここって。だから摂りすぎたと思って、ものすごい運動したり、ほかを節制しちゃうんですよね」


「むすび、と読みます。糸を結ぶのむすびですね。そして、産む霊と買いても、むすびと読みます。これは天地万物を産む神霊のことですね」

「結」の主催者の年齢や性別は、その姿から推測することは難しい。ふくよかすぎるために男性とも女性とも判別できない。若いようで老成している。彼(彼女)は人の出会う場を提供する。男女であったり、企業であったり、捨て犬捨て猫の里親募集であったり。あらゆることの縁をつなげ、ほどけぬ結び目をつくり、祝福する。「糸は元々伸びているものですから。私はほんの少しのお手伝いだけです」ゆったりと茶をすする。彼女(彼)は人々に「福の神」という言葉を思い起こさせる。


beauty parlor コケシ

店から排出される客はすべてコケシスタイルに整えられる。

それ以外の髪型は許されない。とはいっても、遊びがないわけではない。ナルコ、ツチユ、ツガル、ナンブなど約十一ものスタンダードスタイルがあり、アーティスティックなアレンジ型も多く研究されている。客はコケシストと称される。毎週のように通って定番をキープする者もいれば、気分によって微妙な変化を愉しむ者まで様々である。

 


波の家

波の音が聞こえる。遠い昔を呼び起こすような、いつかの未来を引き寄せるかのような、波の音が聞こえる。やわらかな衣擦れに似た声が問いかけてくる。乳白色の声である。声に答えるうちに浮かぶ、音、情景、匂い。外へ外へ。内へ内へ。どこへ向かってもいい。好きなところへ進んでいい。進んでも、引き返しても。浮かんでも、沈んでも。漂うだけでもいい。贅沢な時間である。幼い自分を見つけたら抱きしめてあげてください。大きなあなたと出会ったら、今のあなたをどう思うか尋ねてみてください。乳白色の声がやわらかく云う。いまだ、子どもの私も未来の私も見えない。いいのです、それでも。波が澱を流してくれます。


GREEN GIFT CAFE

灰色のビル街の一角にカフェはある。無機質なドアをくぐると一転、そこは鬱蒼と茂る森である。鳥のさえずり、風の歌声。椅子やテーブルはない。好きな絨毯を選び、地面へ広げる。本の貸し出しはあるが、新聞や雑誌はない。世情など忘れるべき場所である。オーナーはリスに似ている。ふっくらとした姿形で、ドングリを運ぶように給仕する。喧騒に疲れた客がさぞ殺到するのではないかと思われるだろうが、このカフェは会員制である。会員登録には資格が必要である。「あまり難しい資格ではありません。ただ、カフェのドアが見えることだけです」森の贈り物を受け取るには、どうやら森の住人でなければならぬらしい。

 


土谷ハナコ

「私が学生の頃でした。母は病気をしていて、結婚記念日を病院で過ごすことになりました。お見舞いへ行く途中、父は急に車を停めて、ある花屋へ寄りました。バラの花束を買ったんです。ぶっきらぼうで、頑固一徹な父だったので、花束なんて私は驚きました。でも、花屋の方は父を知っていて、奥様への贈り物ですかって尋ねてらして、母の好きな色のリボンでやさしく仕上げてくれました。治療前の母とふたりでその花屋へたまたま行った時、バラの花束を贈ってあげたらしいのです。病室で私が店の話をすると、花束に顔を埋めるようにして、母はうれしそうに笑っていました。父は恥ずかしそうでしたけれど。だから私、ひとの心に寄りそえる花屋になりたいと思ったのです」


ニホンのカレーライス

出汁を味わう、日本人のためのカレー屋である。この店に「辛さの段階」を選択する仕組みはない。

印度人と日本人の間に生まれたオーナー。彼は長く料亭で修行した料理人である。彼は香辛料と出汁の奥深い旨味を堪能してもらいたいと望む。「出汁には昆布や鰹節を使います。海のめぐみです。それに何種類ものスパイスを組み合わせる。つまり、海と大地の旨味を味わうことができる。辛さというのは、味覚ではなく、痛み刺激だそうです。過度な辛さでは繊細なめぐみを感じにくくなります」店には日本人のみならず、本場印度の観光客も多い。最近、仏蘭西料理を修業した妹と、アーユルヴェーダの医術を心得た弟も参画した。更なる進化を期待したい。


心象風景という言葉を使った詩人がいた。小塚ヒラギノはその詩人に憧れている。心をそのまま象る風景。シャッターを切るように、それを捉えたい。きれいな言葉を並べたいとは思えない。ただ、幾重にもかくされたものの一番奥に迫りたい。だれも踏んでいない雪の上に立ち、冷たい空気を吸いこむ。しんとした肺の熱を感じる。そういう気持ちでペンを握る時、言葉が浮きあがる。まばたきを忘れる。イメージは一瞬で過ぎ去る。「シャッターを」気負わずに、さらりと、シャッターを押せるようになりたい。願うほど、指へ力がこもる。