空に飛び出たくじらは
夜の星と眠る人々の夢を
大きなひれでもってかすめ取り
暗い海にひそむものたちへばらまいて泳ぐ
泡立ち にごり きらめいて
深い深い底まで届く
きっと届く
くじらは信じて
空を飛んで海へ戻る
何度も
今夜も
繰り返している
(2011/6/11)
*
空と海とをかきまぜつづけたくじらは
やがて海から飛び出したがる色とりどりのヒトデを見つけた
くじらの吹く潮に乗って
ヒトデはきらきら舞いあがる
おかえり おかえり あなたの宇宙へ
くじらは歓び
海底をさらい
尾を打ち
潮を吹いて
泳ぎ廻る
おかえり おかえりと 歌いながら
(2012/3/11)
*
「そろそろあのくじら、まいってきたのじゃないかい」
空と海をかきまぜつづけるくじらを眺めて陸のだれかがつぶやく。
「どれどれ、あの大きな肉のかたまり、穫りに行こうじゃないか」
煙草をふかしてあのひとがいう。
「やれやれ、傷に薬を塗りに行ってやろうじゃないか」
ねじりはちまきをしたあのひとがいう。
くじらの立てるしぶきの音も聞こえない、お酒にひたったあのひとは、なにもいわずにげっぷを吐いている。
(2013/3/11)
*
*
春を打ち消す雪が波頭に触れて
少女は黒い砂を盛る
とがった断崖に膝をつき
遠い処の青い天を想像する
お元気ですかと目でささやき
爪にはいりこんだ砂を噛む
ちいさな肩へ手を置くように
くじらの声が届く
高く
高く
高く
高く
少女は立ちあがり
膝に砂のついたまま海を見渡す
(2015/3/11)
*
もう降らないと思った雪が
夜になって降っている
白いひとひらに
くじらからの手紙がまざっていた
「ドウシテマスカ、飛ンデマスカ泳ギシテマスカ、笑テマスカ」
海月のインクで記された言葉は
すぐに手のひらで溶けた
「あれから梅の木が育った気がします。すこしだけ」
私は返事を風へ渡した
(2016/3/11)
*
わたしは貝を拾う
足が見つけたときだけ
わたしは貝を埋める
風が巻きあげようとするから
ちっぽけだった
ちっぽけさは変わらない
いつかぜんぶくじらへあげようと思ってる
それまでまた
貝を拾って
貝を埋める
(2017/3/11)
*
コップに水を汲んだら くじらが泳いでいた
まさかと思い 浴槽を見ると くじらがいた
そういえば 明け方の夢のほとりにも くじらがいた
「海はあなたの内にも満ちていますから わたくしはどこにでもゆけるのです」
星をすくい 空へかえすくじら
わたしの内にも 沈んだ星があり それを見つけて 空へかえすのだ
(2018/3/11)
*
雲がやわらかく光を包んでいた
カラスが枝をくわえて横切った
木蓮の蕾は雛の産毛みたいだね
あと少しで飛び立つよ
振り返るまでもなく 過去は目の前に見えている
未来は過去の向こうに時々ゆらぐ
海月色のスケッチブックに今日を描いて破りとる
浜へ行こう
海へ流そう
鯨へ届けるよ
(2019/3/11)
*
歩道橋を渡っていたら、大きな黒いものがゆっくりと雲から雲へ動いていった。
私のほかに、父子もそれを見あげていた。
「飛行船?」
「いや、あれはくじらだ」
ビルの前、大柄な人物とすれちがった。
「ああ、あのひとはくじらだ」と思った。
今夜は、街のいたるところに潮の匂いが漂っている。
(2020/3/11)
*
もう三日も燃えつづけている。
浜にあがったくじらに火を点けたのは、あの人だったのかもしれないし、私だったのかもしれない。
みんな何かをくじらの火に焚べていく。
時々、くじらの腹に残っていた星が花火のように打ちあがる。
誰もが静かに星を見る。
あ、と子供が指さした。
沖に若いくじらの姿があった。
(2021/3/11)
*
まちの人は、ふところに匂袋を隠している。
きょうは、みんなが匂袋の紐をゆるめるので、夜空に潮が香る。
爪で月をはじくような音に振り返れば、陳列棚にならぶ小綺麗な硝子の鯨が次々と割れ、夜空の海へ、見えない姿で泳ぎ始めていた。
(2022/3/11)
*
さみしい時にさみしいと
かなしい時にかなしいと
うれしい時にうれしいと
花が咲くように葉が繁るようにやがて枯れゆくように
あるがままを見つめていますか
夜の波間から鯨の声が届く
目を開き 耳をすます
ああ 星空
星空があります 鯨よ
(2023/3/11)